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189件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1969-03-04 第61回国会 衆議院 予算委員会 第18号

なかなか言いにくそうでありますけれども、かつて昭和三十年代に、当時の重光外務大臣ですか、アリソン大使との間で一つの口約束をしたことがあります。このことについて当時の杉原防衛庁長官は、重光外務大臣は五月三十一日にアリソン大使からこういう言明を受けておりますと、口頭約束なさった日時もはっきりなさっていらっしゃるわけです。したがって、この問題に対して重要な事項についての約束が行なわれておるわけです。

広沢直樹

1967-05-17 第55回国会 参議院 決算委員会 第8号

これは言うまでもなくMSA援助、つまり余剰農産物資金について、これはいままでの経過はあとのほう、後半のほうを言われましたけれども、これは結ばれたのは、言うまでもなく一九五五年のこれは五月十三日、それから同附属交換公文が一九五六年二月十日、アリソン大使重光外務大臣との間にこの交換公文が交換された、その当時の資金が八十七億七千九百十万八千三百五十二円という明細な金額になっておりまして、そのうち六十三億

岩間正男

1964-03-25 第46回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号

アリソン大使のときであったと思いますが、名前は忘れましたが、たぶんグラハム代理大使、当時の公使ではなかったかと思いますが、すでに拿捕事件が起こりましてから四年経過いたしておりましたのに、この件に関する私どもの問いに対して、現在調査中である、このような言明をいたしておったのであります。

有馬輝武

1958-03-27 第28回国会 参議院 外務委員会 第12号

それからこういうことは適当かどうか、私もちゅうちょする気持があるのですが、インドネシア情勢の判断について、アメリカでももちろん注意しておるわけだが、あそこのアリソン大使アメリカに対する情勢報告というものがダレスあたりの見ておるところあるいは方針としておるところとかなり違っておる、あまりにも食い違っておるということがもとで、大使の更迭もあったというようなことが伝えられて、一番私らが懸念する点は、

杉原荒太

1958-03-26 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第20号

その後米軍撤退等もありますし、また日本防衛力増強等もありますので、これらの点を考慮しまして、重光大臣アリソン大使の間で一般方式というものが結ばれまして、それによりまして日本防衛のための支出が増加する場合には、その半額だけ防衛分担金から引いていく、こういうことが従来の経緯になっている次第でございます。

森治樹

1958-03-03 第28回国会 衆議院 予算委員会 第16号

さらに大使が更迭しても、すなわちアリソン大使からマッカーサー大使になっても、本国内閣がかわっても、本国というのはアメリカ内閣が民主党から共和党にかわっても、政府同一性の見地からこれは有効だ、そこまで言い切った。そして重光さんもそのときに、条約局長が国際間における約束は文書によっても口頭によっても、拘束力があるという趣旨説明は同感だ、こう言っておる。

柳田秀一

1957-09-11 第26回国会 衆議院 大蔵委員会 第49号

横路委員 一昨年の四月二十五日でしたか、十五日でしたか、衆議院の総選挙が終りましたあとで、あなたが当時のアメリカアリソン大使との間に、防衛分担金の削減と日本防衛費との関係において約束をした。これは、当時国会で問題になりまして、これは、決してあとあと内閣を拘束するものではない、こういうように答弁はされたが、実際には、ずっとそのままできているわけです。

横路節雄

1957-02-13 第26回国会 衆議院 外務委員会 第3号

ところが防衛分担金の額に対する日米交渉は、在日アリソン大使外務大臣大蔵大臣防衛庁長官、これは石橋総理の兼任でありました関係から、主として増原次長がこれに当ったようでありますが、その現われたところを見ますと、予算面では前年度の約三百億を踏襲するということで、日本側防衛費の総額につきましても、前年度よりわずか四億程度上回っただけで、予算外契約の分を含めますと若干数字が違ってくるかと思うのでありますが

田中織之進

1957-02-09 第26回国会 衆議院 予算委員会 第4号

岸国務大臣 その点については、今御指摘のありましたように、私の前任者重光外相アリソン大使との間に話し合いがあったことも事実であります。今回の国防省の発表によりましても、こういうものを持ってくる場合においては日本政府と協議した上できめるということを言っておりまして、そのことはもはや問題なく、日本の同意なくしてはそういうものが日本にいけないということは、私はきわめて明瞭になっておると思うのです。

岸信介

1956-11-22 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第5号

○戸叶委員  結局、重光さんがダレスさんに会って、少し沖繩の問題に触れたということが大体わかったわけなんですけれども、今ちょっとお述べになりましたように、確かにアリソン大使から外務省に届けられた、日ソ交渉に対する米国側の見解を述べた覚書というものが新聞に載っていたことを、私は記憶しております。

戸叶里子

1956-11-21 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第4号

北澤委員 どうも、大臣の御答弁がはなはだ抽象的で、私どものような頭の悪い者にはよくわからぬのでありますが、せんだってアリソン大使が帰国をするというので、私も会って話をしたのでありますが、いよいよアメリカの方でも大統領選挙が終って新しいアドミニストレーションができるわけであります。

北澤直吉

1956-08-30 第24回国会 衆議院 外務委員会 第63号

中川説明員 沖繩の問題につきまして、軍用地の問題につきましては、問題になりましたプライス報告が出まして以来、政府といたしましても、外務大臣アリソン大使に数回にわたって沖繩住民の方の正当な要望について折衝を行なった、またワシントンにおきましても、現地のわが大使館がアメリカ政府に対しまして同じような趣旨での話し合いを行なったということは、すでに御承知通りでございます。

中川融

1956-07-13 第24回国会 衆議院 外務委員会内閣委員会法務委員会連合審査会 第2号

○田中(織)委員 大臣も私の申し上げる趣旨には原則として賛意を表されておるのでありますが、先ほど茜ケ久保君の質問に対してわれわれ、また沖繩代表が特に期待を持った昨日のアリソン大使外務大臣との会見の結果、琉球問題については希望が持てる、好転が期待される、こういうような話し合いアリソン大使との間で出たような、これはあるいは新聞観測記事かもしれませんけれども、出ておるのに対して、私は非常な期待を持っておったと

田中織之進

1956-07-12 第24回国会 衆議院 外務委員会 第59号

メッセンジャー・ボーイみたいに沖繩県民要求重光外務大臣アリソン大使を介してアメリカ政府に伝える、つまりあっせん役はするけれども主権者としてこの要求沖繩県民と、われわれ本土におる者と、日本国民全体を結束させて、そして政府が先頭に立ってアメリカに抗議を申し込むという、そういう戦いの姿はまだ出ておらないように思うのです。番大事な点は、私はそこにあると思う。

松本七郎