1969-03-04 第61回国会 衆議院 予算委員会 第18号
なかなか言いにくそうでありますけれども、かつて昭和三十年代に、当時の重光外務大臣ですか、アリソン大使との間で一つの口約束をしたことがあります。このことについて当時の杉原防衛庁長官は、重光外務大臣は五月三十一日にアリソン大使からこういう言明を受けておりますと、口頭の約束なさった日時もはっきりなさっていらっしゃるわけです。したがって、この問題に対して重要な事項についての約束が行なわれておるわけです。
なかなか言いにくそうでありますけれども、かつて昭和三十年代に、当時の重光外務大臣ですか、アリソン大使との間で一つの口約束をしたことがあります。このことについて当時の杉原防衛庁長官は、重光外務大臣は五月三十一日にアリソン大使からこういう言明を受けておりますと、口頭の約束なさった日時もはっきりなさっていらっしゃるわけです。したがって、この問題に対して重要な事項についての約束が行なわれておるわけです。
○大出委員 これはかつて重光外務大臣のときに、アリソン大使との間に重光・アリソンのジェントルメンズアグリーメントみたいなものがあった、これは議事録にありますね。これはたとえば交換公文と同じような効力があると政府側が力説しているのがありますね。
これは言うまでもなくMSA援助、つまり余剰農産物資金について、これはいままでの経過はあとのほう、後半のほうを言われましたけれども、これは結ばれたのは、言うまでもなく一九五五年のこれは五月十三日、それから同附属交換公文が一九五六年二月十日、アリソン大使と重光外務大臣との間にこの交換公文が交換された、その当時の資金が八十七億七千九百十万八千三百五十二円という明細な金額になっておりまして、そのうち六十三億
アリソン大使のときであったと思いますが、名前は忘れましたが、たぶんグラハム代理大使、当時の公使ではなかったかと思いますが、すでに拿捕事件が起こりましてから四年経過いたしておりましたのに、この件に関する私どもの問いに対して、現在調査中である、このような言明をいたしておったのであります。
それからこういうことは適当かどうか、私もちゅうちょする気持があるのですが、インドネシアの情勢の判断について、アメリカでももちろん注意しておるわけだが、あそこのアリソン大使のアメリカに対する情勢の報告というものがダレスあたりの見ておるところあるいは方針としておるところとかなり違っておる、あまりにも食い違っておるということがもとで、大使の更迭もあったというようなことが伝えられて、一番私らが懸念する点は、
その後米軍の撤退等もありますし、また日本の防衛力増強等もありますので、これらの点を考慮しまして、重光大臣とアリソン大使の間で一般方式というものが結ばれまして、それによりまして日本の防衛のための支出が増加する場合には、その半額だけ防衛分担金から引いていく、こういうことが従来の経緯になっている次第でございます。
さらに大使が更迭しても、すなわちアリソン大使からマッカーサー大使になっても、本国の内閣がかわっても、本国というのはアメリカの内閣が民主党から共和党にかわっても、政府の同一性の見地からこれは有効だ、そこまで言い切った。そして重光さんもそのときに、条約局長が国際間における約束は文書によっても口頭によっても、拘束力があるという趣旨の説明は同感だ、こう言っておる。
いやしくも重光さんの時代にはアリソン大使との間で確約があるんだということですが、それは現在の内閣を抱束する力がない、こらおっしゃる以上は何らかそこに具体的な話し合いがあるべきものだと思います。
また聞くところによりますと、日本におりましたアリソン大使がインドネシアに転任いたしましたが、アリソン大使がインドネシアを引き揚げました。そのことはアリソン大使がインドネシアにおいて何か内政干渉的な行動をやって、それが失敗したからだというような風説も伝えられておる。
○横路委員 一昨年の四月二十五日でしたか、十五日でしたか、衆議院の総選挙が終りましたあとで、あなたが当時のアメリカのアリソン大使との間に、防衛分担金の削減と日本の防衛費との関係において約束をした。これは、当時国会で問題になりまして、これは、決してあとあとの内閣を拘束するものではない、こういうように答弁はされたが、実際には、ずっとそのままできているわけです。
ところが防衛分担金の額に対する日米の交渉は、在日アリソン大使と外務大臣、大蔵大臣、防衛庁長官、これは石橋総理の兼任でありました関係から、主として増原次長がこれに当ったようでありますが、その現われたところを見ますと、予算面では前年度の約三百億を踏襲するということで、日本側の防衛費の総額につきましても、前年度よりわずか四億程度上回っただけで、予算外契約の分を含めますと若干数字が違ってくるかと思うのでありますが
○岸国務大臣 その点については、今御指摘のありましたように、私の前任者の重光外相とアリソン大使との間に話し合いがあったことも事実であります。今回の国防省の発表によりましても、こういうものを持ってくる場合においては日本政府と協議した上できめるということを言っておりまして、そのことはもはや問題なく、日本の同意なくしてはそういうものが日本にいけないということは、私はきわめて明瞭になっておると思うのです。
アリソン大使などもわざわざ韓国に参りまして、李承晩を説いてくれたのですけれども、そのときに承知をしなかった。アメリカの言うままにも李承晩は動かないようであります。僕の答弁が足りなければ、外務大臣から補足して説明をしていただきます。
○戸叶委員 結局、重光さんがダレスさんに会って、少し沖繩の問題に触れたということが大体わかったわけなんですけれども、今ちょっとお述べになりましたように、確かにアリソン大使から外務省に届けられた、日ソ交渉に対する米国側の見解を述べた覚書というものが新聞に載っていたことを、私は記憶しております。
○北澤委員 どうも、大臣の御答弁がはなはだ抽象的で、私どものような頭の悪い者にはよくわからぬのでありますが、せんだってアリソン大使が帰国をするというので、私も会って話をしたのでありますが、いよいよアメリカの方でも大統領選挙が終って新しいアドミニストレーションができるわけであります。
○中川説明員 沖繩の問題につきまして、軍用地の問題につきましては、問題になりましたプライス報告が出まして以来、政府といたしましても、外務大臣がアリソン大使に数回にわたって沖繩住民の方の正当な要望について折衝を行なった、またワシントンにおきましても、現地のわが大使館がアメリカ政府に対しまして同じような趣旨での話し合いを行なったということは、すでに御承知の通りでございます。
重光外務大臣がアリソン大使と何回会ったとか、七回会ったとか、アジア局長も数回会ったといわれますが、こういう方面のことで国防省に対する外務省の働きがあったか、それらのことについてこの席上でやはり何か発言ができれば承わってみたいと思うのであります。
新聞紙によりますと、二十四日には約一時間にわたってアリソン大使と会見したということを見ました。特に沖繩問題に触れられたことと思って、やはり重光さんが国会で言明された通り、出発直前まで努力された点を、私は認めるにやぶさかではないのであります。
○田中(織)委員 大臣も私の申し上げる趣旨には原則として賛意を表されておるのでありますが、先ほど茜ケ久保君の質問に対してわれわれ、また沖繩代表が特に期待を持った昨日のアリソン大使と外務大臣との会見の結果、琉球問題については希望が持てる、好転が期待される、こういうような話し合いがアリソン大使との間で出たような、これはあるいは新聞の観測記事かもしれませんけれども、出ておるのに対して、私は非常な期待を持っておったと
メッセンジャー・ボーイみたいに沖繩県民の要求を重光外務大臣がアリソン大使を介してアメリカ政府に伝える、つまりあっせん役はするけれども、主権者としてこの要求を沖繩県民と、われわれ本土におる者と、日本国民全体を結束させて、そして政府が先頭に立ってアメリカに抗議を申し込むという、そういう戦いの姿はまだ出ておらないように思うのです。番大事な点は、私はそこにあると思う。